"ユニヴィジュアル"とは

"ユニヴィジュアル"とは、ユニティ/すべてはひとつという全体性と、インディヴィジュアル/個を掛けあわせたティムによる造語です。インディヴィジュアル/個が、ワンネスに目覚めた個/ユニヴィジュアルへと進化することで普遍的な善意と大きな愛に開かれていきます。そして、個人の魂の進化のみならず、人類や宇宙全体の進化にも深く関与していき、新時代を切り開く重要な鍵となっていくのです。

ティムが語るユニヴィジュアル〜オンライン・プログラムより〜

私はティムですが、ティムがティムとして存在しているということは、ティムはワンネスの一つの表現でありながら、同時にワンネスとも関係をもっているということなのです。個が目覚めてワンネスを意識することでワンネスへと繋がっていくということなのです。

ですから、ユニヴィジュアルの観点では、個というものはワンネスに繋がるために取り除くものではなく、讃えるべきものとしてとらえています。個であるわたしたちが普遍的なワンネスを認識するとき、わたしたちはワンネスとひとつとなるのです。

意識が拡大してワンネスを認識しているときは、ワンネスとわたしたちはひとつであり、相互に関係性を持っていることを認識する時です。でも、実際はわたしたちはワンネスと常にひとつであり、わたしたちが認識していても、認識していなくても、わたしたちがワンネスから切り離されたことは決してなく、常にひとつであり相互に関係性を持っているのです。それがわたしたちの存在の性質なのです。

ティムの体験の分かち合い

とても深い、とても重要な体験をしました。まだ語る時期ではないかもしれませんが、少し皆さんと分かち合いたいと思います。

わたしは完全に神に浸透しました。身体の感覚や、マインドの意識もなく、ティムもいない、ただ神のみ、至福だけが在るという体験でした。真っさらで無限に広がる部屋の中にいるようでした。わたしは完全に歓迎されていました。死のようでもあり、死から蘇ったようでもあります。

そして、ティムの意識が身体に戻ってきた時、ああ、また分離だと思うこともなく、身体があること、そして、ティムというストーリーを持っていることはなんて素晴らしいのだと思いました。ティムからの解放と、途轍もないティムに対する是認がありました。

そして、"声"が語りかけてきましたーーティムはよくやっているよ。続けていきなさいとーー。

私は私のすべての意識を向けて、この体験から皆さまに提供できる何か新しいものに取り組んでいます。 〜2019年11月深い体験後のティムの動画のコメントより一部抜粋〜


ユニヴィジュアル・メディテーション

宇宙/全体性とひとつであり、相互の関係性に目覚めた個として日常を生きることに役立つ、二種類のユニヴィジュアル・メディテーション〜①一点に集中した意識を広げていく〜 ②一点を照らす光を広がった光へ〜 をご紹介します。

ユニヴィジュアル・メディテーション①
意識を拡げてすべてを包み込む瞑想

目を閉じて、静まり返ってください。

あなたの意識をあなたのサイキ/魂へと向けましょう。
そして、あなたのサイキ/魂のBeingを感じてみてください。
あなたのサイキ/魂もまた存在しているのです。
そして、Beingの感覚を見出してみてください。
Beingが存在していることはとても明白ですが、どこか具体的に存在しているのではないのです。
それは、あなたが"深遠なわたし/ I AM"と呼んでいる、あなたの最も深遠な部分なのです。

この瞑想では、あなたの最も深遠な深みであるBeing/存在に意識を向けていきます。
この瞑想を行うことで、あなたはあなたの身体に生じる感覚の経験だけでなく、思考のような、あなたの内面に生じる精神的な経験も超越しています。
だからと言って、感覚や思考が消えるということではありません。
感覚や思考を持つことができるというこうことには利点があるのです。
誰かが部屋の中に入ってきたとしても、あなたは気づくことができるでしょう。

しかし、瞑想において、あなたがあなたのBeing/存在に戻り続けるとしたら、感覚や思考に意識の光は照らされなくなり、それらが無意識化していくのです。
つまり、あなたが意識を向けるところはどこであっても、意識の光に照らされて意識的で鮮明になってくるのです。
そして、あなたの意識が向けられていないところはあなたの意識の光は届かず、無意識化してくるのです。

あなたがあなたの最も深いところのBeing/存在に意識を向けることを身に付けるようになると、Being/存在は鮮明になって生き生きとしてくるのです。これはかなり驚くべきことなのです。

私がBeing/存在に意識を向けるようになると、実際に自分の個を超越するものに集中しているということが明らかになっていきます。
それは、ただ、私のBeing/存在だけでなく、森羅万象のBeing/存在なのです。

ここでは私が経験したことを説明していますが、これはあなたが実際に経験することを探求していきましょうという、あなたへの招待状なのです。

私にとってかなり早い段階で起きることの一つは、身体が本当に気持ちよくなってくるということです。
自分の呼吸のエネルギーを感じることができるようになります。
そして、私が呼吸に注意を向けていなくても、呼吸のエネルギーの心地よさは、私がさらにBeing/存在に深く入っていくための安心感を私にもたらしてくれます。

さらに深く沈むようにBeing/存在に入っていくと、それはキリスト教のグノーシス派が呼ぶ、眩い暗闇、暗闇の光と呼ぶようなものに入るような感じがします。
手の届かないところにあるかのように、鮮やかな光の点滅がその暗闇にあることに、あなたは気づくかもしれません。
それが起きたとしたら、そのまま深く入っていきましょう。
そこで開かれていくものは、ほんとうに深遠な静寂なのです。

そこには音がありますが、暗闇の中にある光がこの世の中で一般的に見られる光ではないのと同じように、この音は聴覚によって聞こえてくる音ではありません。この音は静寂の音とよく言われたりします。
微かに揺れるような音のような感じです。

この体験はヒンドゥー教でアーナンダと言われている至福への扉となります。
サンスクリット語では、サット、チット、アーナンダと言われています。
これらの言葉の意味は、サット=存在/Being、チット=意識、アーナンダ=至福です。

そして私が気づいたのは、実際にBeing/存在それ自体を意識することは、至福の体験であるということです。
この至福に達すると、瞑想はスピリチュアルな規律というものではなくなり、あなたにとって最大の喜びとなるのです。

ユニヴィジュアル・メディテーション②
あなたの自身のビーイングに注意を向けて普遍的なビーイングを見出す瞑想

まず、あなたの身体の存在/Beingを意識するようになることから始めましょう。
それはあなたは肉体を持って存在しているという、理屈抜きに実感するような感覚です。

それから、呼吸に意識的になりましょう。
あなたが吸い込んでいる、その空気の存在/Beingに意識的になりましょう。
あなたが注意を向けたとき、空気がどれほど鮮明になるのかを感じましょう。

あなたが足をつけている床の存在/Beingを意識しましょう。
あなたの視界に入っているものが何であっても、その存在/Beingを意識しましょう。
全宇宙が存在/Beingであることを認識しましょう。
ひとつの存在/Beingがすべてとなるのです。

そして、その存在/Beingの大海の中にいる、個性を持ったあなたを意識しましょう。
このすべてを包み込んでいるワンネスの個の表現があなたなのです。
そして、そのあなたの個性は、存在/Beingの普遍性とつながって関わり合っている状態で存在しているのです。

そして、あなたが感知しているもの、あなたが見たり聞いたりできるものーーこれらの異なる形のすべてが、あなたの普遍的な存在/Beingであることを気づいていましょう。
そして、ハートのやさしさを持ってこれらの感覚を意識していましょう。
存在/Being の普遍性とつながって関わり合っているという、あなたの感覚を意識しましょう。
あなた自身であるワンネスとつながって関わり合っているあなたであるということが、どれほど素晴らしいことか。

あなたの個性とあなたの普遍性の、内的な交感を感じましょう。
あなたの周りにある、個々のものとの内的な交感だけではなく、全体とのあなたの内的な交感ーーそのつながっているという感覚に注意を向けると、この感覚はより鮮明になってきます。愛のように感じるでしょう。

そして、目を閉じて、あなたの注意をサイキへ引き寄せましょう。
あなたのサイキの存在/Beingを意識しましょう。

あなたの注意を、さらにあなた自身の深い本質である存在/Beingへと引き寄せましょう。
あなたは存在しているというシンプルな認識ーー
そして、あなたがあなたの存在/Beingに注意を向けると、あなたの身体とサイキが相対的に無意識化していきます。

さらに深く深く存在/Beingに沈んでいきましょう。
その静寂の中に。
そして、その静寂の中に入っていくと、あなたは不思議な光の暗闇に気づくかもしれません。
煌く光の瞬きがあるかもしれません。
その光の中に深く入っていきましょう。

あなたは静寂の音を耳にするかもしれません。
まるで何千もの小さなベルがなっているかの様です。
もしあなたがそれを耳にしたら、その音の中により深く入っていきましょう。
あなたが意識を向けると、その音はより鮮明になってきます。

深い静寂と、深い深遠さ。
あなたの注意がそのきらめく実在に溶け込んでいくままにさせましょう。

そして、あなたの注意がゆっくりとあなたの身体とあなた個人に、そっと戻っていくようにさせましょう。
あなたの呼吸を感じましょう。
この存在/Beingの大海の中にある、あなたの身体の存在/Beingを感じましょう。

ゆっくりと目を開いて、森羅万象の存在/Beingとつながっている個としてのあなた自身を意識してください。
それがどのように感じられるかということを意識します。
そして、ご自身が現在置かれているところに意識を戻してください。

瞑想①と瞑想②についてティムの補足説明

私たちがこの瞑想で到達しようとしているところは、広大な空間です。
しかし、そこに到達するための有効な方法は、まず最初に、音や息のBeing/存在、本や太陽のBeing/存在をとても明確に意識することなのです。

私たちはよく意識を何かに焦点を合わせることに用います。
特に私たちはよく自分自身を中心的に扱うことに慣れ親しんでいますが、この二つの瞑想はその自分を中心的に扱うということを変える、つまり、個人の視点を、この瞑想の少しの間、拡大していくということなのです。

そのため、瞑想①は、すべてを包み含むように意識を拡げていくということについてです。
そして瞑想②は、あなたがすべてのものを超越するように、意識を引き寄せていくということについてです。

たった今、あなたの注意を引いて、その注意を拡げていきましょう。
どこか特定のところに焦点を合わせず、あなたが注意を向けることのできるフィールド全体を意識しましょう。
これは満ちているものを包み込み、そして、空になっていくということなのです。
そして、この瞑想①と②の両方ともが、同じところに達するのです。

これらの移行を始めるためのベストな方法は、段階的に行なっていくことです。
段階的にとは、つまり、まずわたしの身体が実際に存在しているという感覚を得て、私が呼吸している息の空気のBeing/存在、私が今、座っている椅子のBeing/存在、本棚に置かれている本のBeing/存在など、すべてに意識を向けていきます。
それから、ある特定のものに意識を向ける代わりに、空間に意識を拡げていきます。
その空間とは、すべてを包み込んでいる空間です。

そして、ここで強調したい大切なポイントがあります。
存在/Beingの質というものは、その他の多くの存在/Beingの性質のすべてから切り離されているわけではありません。
あなたは世界を結びつけるものに焦点を合わせているのです。
それが森羅万象の存在/Beingなのです。
したがって、存在/Beingは、とても満ちているのです。
あなたが実際に包み込んでいるものとは、全宇宙とその多様性と叡智のすべてなのです。

わたしたちが集中した意識を拡散させている時、わたしたちは何かあるものが持っている特定の性質に注意を払っていません。
万物が持っている普遍的な性質である存在/Beingをわたしたちは意識しているのです。つまり、それは存在しているのです。

川のせせらぎの音に入っていくというようにわたしはよく説明しますが、このエンタリングEnteringとは、今ここに在る感覚的な体験や物事の中に入っていく、つまり、それらの存在/Beingに入っていくということです。一粒のレーズンに入っていった時、そこに宇宙が拡がっているというような感じです。

「庭で鳥が鳴いているのが聴こえます。私はその音に入っていきます。私は本当に聴いています。歌声の声色とリズムが聴こえてきます。深く聴くに従い、私の意識状態は変化していきます。まるで初めて聴いているかのように、聴くことはとても美しく感じられます。今この瞬間の体験は完璧で神秘的で、ワンダーに満ちています。注意力はしなやかながらもやわらかく、まるで音を撫でているかのようです。聴こえてくる音と音の輪郭が溶け出し、あなたの広大な意識に立ち上るひとつの美しい音の流れになります。小川のせせらぎの音とひとつになったかのように感じます。世界のすべてが震える音とともに鳴っています。そして、私もまた音そのものです。」『神秘体験』より一部抜粋

ティムとの質疑応答〜オンライン・プログラムより〜

ワンネスはニュートラルなのですか?

質問:人がワンネスのことを話す時、ポジティブな特徴を挙げます。しかし、私には、ワンネスにはニュートラルさがあるように思えるのです。ワンネスは対極を超えたものであるべきです。なのに、なぜワンネスはポジティブに捉えられているのでしょうか?
その可能性のシナリオとしては、ワンネスの中にではなく、私たちがユニヴァーサリティ/普遍性と関わる時に、ポジティブに感じるのかも…。つまり、ワンネスそれ自体ではなく、その関係性がポジティブなのものなのかも? これを明確にしていただけますか。

ティム:あなたは自分の質問の中で、答えを出していますね(笑)
ニュートラルというのは存在しません。ただビーイング/Being だけであればニュートラルですが、いろいろな質が生まれて行く中で、最もエマ―ジェントなもの、つまり進化しているものが良いものに感じられます。
これは、Nさんのもうひとつの深遠な質問「私たちがすべてワンネスの表現であるなら、苦しさも醜さも受け入れられるものなのでしょうか?」の答えにもなります。それは、ビッグ・ラブとの関係を示しています。

そこには受容があるのです。同時に、これまで通りに決まったように物事を観るのではなく、新しい見方で物事を観るという意味であり、以前は悪として片付けられていたものから善を見出すという欲求です。
これは決して受動的な受容ではなく、これが始まりなのです。最善を生み出すための、進化のプロセスに積極的に関わっていくということなのです。
そういう意味で、私たちはよくやっています。先祖の時代よりも、今の時代の方がより良くなっています。私たちは今や、世界の反対側の人とも、友だちになれるのですから。

集中と拡大の瞑想に優劣はありますか?

ティム:その二つは不可分一体なのです。


瞑想を実践して〜分かち合い〜

この瞑想を実践して、考えている時に集中し過ぎて脳が萎縮している感覚により意識的になってきました。そして、脳が萎縮していると感じたら、その都度、一点に向けて集中することでさらに狭まったかのような意識を拡げるようにすると、脳がリラックスして、広い視点で考えられるようになっていることに気づきました。瞑想の時間だけでなく、こうした日常のふとした瞬間も、実践を続けていきたいと思っています。

"私たちは認識していなくても常にワンネスとひとつ"というティムのアドバイスを聴いて、リラックスすることができ、瞑想でワンネスを認識できなくても、ただ意識を拡大し続けようと思えました。
私の場合、ワンネスとつながることができない時に努力すると奮闘になってしまい、意識の拡大はそこでストップしてしまいます。奮闘するとリラックスした状態ではなくなるからでしょう。
そのため、ワンネスはここに在ることを今は認識でなくても、ワンネスは既にここに在るのだからリラックスして意識の拡大を続けています。
これはマニュアルのカメラのようなことかもしれません。最初は被写体に焦点を合わせるのがマニュアルだと上手くいかなくても、慣れてくればくるほど素早く被写体に焦点を合わせることができるようになってくるように。
ワンネスはいつもここに在ることを認識して、そこに意識を向け続ければ、ティムが自身の体験をお話しされていたように、それは瞑想中でなくても、思いもよらない時に起こることもあるかもしれません。ワンネスは常にここに在るのですから。

ユニヴィジュアリティ/unividualityは、ユニティ/unity とインディヴィジュアル/individual の視点が両方ともあるということですが、それは宇宙(一体)と個、拡散と集中(視点の、エネルギーの)その両方が大事に感じました。

瞑想して、今朝は意識が拡がっていく感覚と脳自体がリラックスしていく感覚を得ました。30分ほどの瞑想でしたが、最後には、体全体が柔らかくなり温かくなっていました。初めての意識状態で、とてもこ心地良く、もっと探求していきたいと思いました。

一点に集中した意識を拡散させるという瞑想をしていたら、私が本当に目指しているものは、そして、実は幼少期から思っていたことは、日常でもいつもワンネスとつながっていたいということだったと気づきました。こうして大きな愛で真摯に導いてくれるティムへの感謝に溢れました。

お陰様で、日常で自分が何に注意をフォーカスしているかということへの気づきが深まってきています。
気づきが深まった分、それが思考であろうと、感情の反応であろうと、フォーカスしている対象と自分を前よりも切り離して観る余裕ができ、ふ~っと呼吸が深まっています^-^v 
そして、まわりからのサインへの気づき、シンクロの現象などが目立ってきています。これって、もしかすると、個でいながらワンネスとひとつであり、ワンネスと関係をもっているということことなのかも…?と、にやっと思ったりしながら、ティムの現実マップ/フィロソフィーを有機的に体験し始めている感じがしています^-^ 
これからどんな理解が開いていくのか、楽しみです!

この瞑想では、静かに自分の中に入っていくことができました。
そして、周りの世界が拡がっていくのを体験しました。

宇宙が呼吸しているのを感じました。


アイデンティティーの3つのレベルや二種類の体験についての補足説明

通常は、マインドや魂は別々に分類され、魂は深遠なものとして別格に扱われていますが、ティムはしばしばマインドと魂とサイキを区別していません。
もちろん、それぞれには違いがあり、その違いをティムは深く認識し、説明することもできますが、それら全ての言葉は、本来は私たちの意識にイメージとなって現れる体験を表現するための言葉だったからです。

ティムは私たちの体験を、肉体の感覚的な体験と、サイキの内面の精神的な活動の二つに分類しています。重要なことは、私たちが常に二種類の体験をしているということだとティムは語っています。

そして、Being/存在は、私たちの身体にも、私たちの内面の形を持たないサイキ、魂、マインドも含めて、すべての根底に存在し、すべてが共有する"存在する"という性質を持つ森羅万象の土台であり、私たちの深遠な部分でもあるのです。
つまり、物質的なものだけでなく、私たちの肉体にも、サイキにも、そして、空気にも、その根底にはビーイングが土台となって存在しているのです。

私たちのアイデンティティーのレベルは3つに分けることができます。

①身体のアイデンティティーのレベル
五感で感じる感覚的な体験

②イメージのアイデンティティーのレベル(サイキ、マインド、魂)
内面の精神的な活動のレベル
物質を超えた非物質の領域

③Being/存在のレベル(スピリットとかあるいはアートマンという名前で呼ばれる領域)
Being/存在とはわたしたちの最も深いレベルの存在のことであり、すべての土台のようなもの。
形体をもたず、不動であり、受動的であり、私たちが気づいていないだけで、あらゆる領域に、そして、森羅万象に存在して、常に在る。
決して変わらないものであり、常に変わる体験を目撃して観ている。
・空間に具体的に存在するものではない
・色はなく、色を見ているもの
・音を立てず、音を聞いているもの
・形がなく、存在という質しか持たない
・ただそれしかない 
・形がないため、制限もない
・森羅万象に偏在するもの
・存在、あらゆる存在、存在のあらゆる領域

ユニヴィジュアルのイメージ・イラスト入りフライヤー

ティムの原書のブックデザインなども手掛けて活躍しているイギリス人のデザイナー、バーナビー・アダムスさんによるユニヴィジュアルのイメージ・イラストが入ったフライヤーです。ハガキサイズなので、ダウンロードしてブックマークやデコレーションとしてもご利用ください。


表面のダウンロードはこちらからどうぞ



ティム・フリーク  ユニヴィジュアルのフライヤー表面




裏面のダウンロードはこちらからどうぞ



ティム・フリーク  ユニヴィジュアルのフライヤー裏面)

ワンネスに目覚めてユニヴィジュアルへと進化するユニヴィジュアル